キャンパスブログ

現代社会論フィールドワーク

「名橋たちの音を聴く」~音の風景から都市をみる~
鷲野 宏

 

外濠をゆく小舟のまわりを鉄道の気配が通りすぎる。その気配は一つではなく、手の届きそうなほどの頭上を前触れもなく一瞬で通り過ぎる轟音としてあらわれたり、遠くから徐々に近づいてきて微かなものからはっきりとした輪郭を帯びては再び時間をかけて過ぎ去って行くものもある。方角も距離も大きさもまちまちに迫ってくるその気配は、このまちの特徴的な「音の風景」だと思う。

 

「現代社会論」は、幾人かのフィールドを異にする人々がそれぞれの立場を素材にしながら「社会なるもの」について探求するという演習授業で、私は「まちあるき」から社会を考えることをテーマにしている。日常のまちを実際に歩くことで、意識に埋もれがちな歴史の痕跡を発見し、その時代ごとの価値観を探ってゆこうとする試みだが、日常を題材にしているがゆえに、単に歩いているだけでは何も得られない。ある程度の知識と普段とは異なる視点、そしてなにより観察するための感性を携えて歩かねばならない。

 

冒頭の風景は、江戸城の外濠を小舟で移動しながら、「音」をきっかけとして、いつもとは違った視点からまちを眺めることをコンセプトとした「名橋たちの音を聴く」の一シーン。このプログラムには「船上の音遊び」という副題がついており、小舟には音楽家が乗船して、橋の下の空間の響きを確かめるように、幾つかの橋の下での演奏を行う事が通例となっている。響きは橋の形状により大きく異なり、カテドラルのような神聖な響きをもつ空間すら存在する一方、どの橋でも、その内側も都市の喧騒は容赦なく回り込んでくる。都市の喧騒の中にあって、聴く側は、どうしても聴こうとする「聴く耳」の用意を促される。そうして「聴く耳」を獲得した乗船者たちは、音楽だけではなく、都市のなにげない日常が放つ喧騒=世界が奏でる音楽をセンシティブに受信することになる。

 

今年10月は、11弦ギター奏者である明石現先生にJ.S.バッハを中心とした「音楽」を演奏していただいたこともあり、現代社会論・明石クラスとの合同フィールドワークの場ともなった。東京のようなダイナミックな変化を繰り返している歴史ある都市には、様々な考え方でつくられた「かたち」や「出来事」が積層されており、これを注意深く観察することは、「時代の価値観」に迫ることに繋がる。「まちあるき」は、社会を感じるための技法でもある。

 

 

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